鼓動を早めて。





「うぅむ、今日はよく冷えるのう…」

両腕を抱え込み、太公望が向かうのはの部屋。

お茶でもどうかとお呼ばれしたので、茶菓子として数個の桃を手に歩いていた。

しかし、の部屋は玉虚宮の洞府内。

距離にしてみればどうということもなく、間もなく太公望は扉を叩いた。

「入って〜」

部屋の奥からするの声に、太公望は言われる通り中へ入る。

中は暖気が満ちていて、思わず全身の力が緩む。

居間へ進むと、は台所にいた。

「いらっしゃい、昨日ね、玉鼎におすすめのお茶を貰ってきたから望と一緒に飲もうと思って。あ、今煎れてるトコだから座ってて」

「おぉ、玉鼎の茶は美味いからのう」

太公望が適当な椅子に座ると、目の前の机には美味しそうなクッキー。

「美味そうではないか。茶菓子か?」

台所にも聞こえるように大きめの声で聞いてみるが、は状況が掴めず、「何〜?」と聞き返す。

「このクッキーじゃ。一つ貰うぞ」

勝手知ったる他人の家、とばかりにぱくり、と一口。

ようやくが茶の支度を終えて急須と茶碗を盆に載せてやってきた頃には、一枚のクッキーの半分をほおばっていた。

「茶菓子なんて用意してな……あ。」

「ん?」

もぐもぐ咀嚼を続ける太公望の手にあるものを見て、の顔からみるみる血の気が引いて行った。

「あ〜、それね、望…」

「なかなか美味だぞ」

「そうなんだけど、それ、…雲中子が作ったの」

…。

辺りに沈黙が訪れた。

太公望からの咀嚼の音も消えうせる。

事情が汲み取れず、太公望は聞きなおした。

「…雲中子が、このクッキーを?」

「ごめん…貰ったんだけど、食べていいものか迷ったまま机の上に置いといちゃったんだよね…」

雲中子が作る食べ物は、基本美味しい。

なので、中に何が入っているか分からないというリスクは伴うものの、食べるという魅力は十分すぎるほど持っていた。

雲中子からすれば、そのために美味しく作っている、とのこと。

太公望は、みるみる状況を把握し、この世の終わりのごとく、頭を抱え始めた。

「ああ〜!もうわしは終わりだ〜!!、わしが死んだらあとは頼むっっ…!!」

「ちょっ…、死ぬことは流石に…」

「このわしも、とうとう奴の実験台になろうとはー!!!」

宥めようとするの言葉も聞かず、地面に突っ伏した。

今にも地面にめり込みそう。

と。

「…むっ!??」

太公望は、はっとしたように地面から顔をあげた。

「ど、どうしたの…?」

「…頭がムズムズする」

条件反射で頭に手をやると、やがて『何か』が太公望の手を押しのけた。

それを見て、今度はが地面に突っ伏す。

「むぅ…?どうしたというのだ、

「…ごっ、ごめんっ、いやあの、あまりに似合いすぎててっ…!!」

体が小刻みに揺れている。

揺れているというより、震えていた。

太公望は、すぐさま鏡を探し、自分の姿を映した。

「こっっ、これはっっ!!?」





玉柱洞。

「これはなんなのだっっ!!説明せいっ!!」

「いやあ、まさか太公望が試してくれるとは思ってもみなかったねえ」

憤りをあらわにし、机をドンドン手で叩く太公望を前に、雲中子はずずっ、と玉露をすすった。

参考資料を手に、コクリと頷いて太公望を見上げる。

「ありがとう、いい実験結果が得られたよ」

「って、おぬしなぁ!!!」

太公望は、頭から突如として生えてきたウサ耳を大いに揺らした。

は依然として、腹を抱えたままでいる。

埒のあかぬ雲中子の対応に、怒り頂点に達した太公望は、ずいっと近づけて睨みをきかせる。

「治せるんであろうなぁ??ええ?」

そんな太公望に、雲中子は欠片も怯みを見せない。

平然として、さらっと怒りの火に油を注ぐ。

「どうだろうねぇ。患者に対してのアフターケアは医者の義務だけど、実験台に対しては一切の責任も持たない主義だからね」

「偉そうに言いおってからに!!」

「ま、いつの世もそうだけど、時間が一番の特効薬かな」

そう言って雲中子は何やら怪しいノートに太公望の症例を書き留めた。

太公望の怒りは冷めやらぬも、これ以上いても仕方がないと分かったか、を引っ張って玉柱洞をあとにした。

ようやく笑いがおさまってきたは、流石に太公望が気の毒になって少し提案をした。

「ねえ、望、道徳のトコ行ってみない?いつも雲中子の実験台になってるわけだし、何か知ってるかも」

「うむ…このままぼーっとしておるわけにもゆかぬしのう」




そして青峰山。

「おっ、と師叔さ!」

「天化!久しぶり!」

天化は、太公望の顔を見ると思わず吹き出してしまった。

「どっ、どうしたさ、そのヘンな頭っ!」

「…雲中子にやられた」

笑われたことにぶすっとして答える太公望。

「よっ、よく似合ってるさ、師叔」

天化は腹を抱えて必死に笑いをこらえる。

そんな中、ようやく道徳がやって来た。

「やあ!噂はかねがね聞いてるぞ!ウサギになったんだって?太公望」

「い、いつの間にそんな噂が…;;」

太公望は苦虫をかみつぶしたような表情になったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「ここへ来たのは他でもない。お主はこの道に於いては右に出るものはおらぬと聞く。どうすべきか教えてもらえぬか?」

あまり褒め言葉ではないが、道徳はあまり気にせぬ様子。

腕組をして、一度うーんと唸った。

「大抵は一度症状が出てからは何も起こらないから、そのままほっといてるんだよなぁ。どうせ俺がどうこうしても、どうにもならないって判ってるし」

時間がたてば殆どの効能が切れるぞ、と答えた。

道徳ほどの楽観主義者であれば、どんな境遇も乗り越えられるだろう。

とりあえずその場は道徳に礼を言って出た。




「うむ…時が経つのを待つしかないかのう」

「私はいいと思うけどなぁ、その耳」

「人ごとだと思いよって…」

玉虚宮への帰り道、珍しく外を出歩いていた雲中子と再び鉢合わせることになった。

「ああ、良かった。一応君のこと探してたんだ」

「なんの用だ!もうおぬしの実験台にはならぬぞ!」

「それはちょっと残念だけど、今回はその用じゃない。ちょっといい話を思い出してね。
 時間が特効薬だって、道徳からも聞いてきたかい?」

「うぬ…なんでもお見通しかい;;」

「それで、身体的時間の経過には、心拍数が大きく関係しているという説があってね。
 つまり、心拍数を一定時間のうちにより多くしたほうが、身体的には早く時間が過ぎるそうなんだ」

「それって、ドキドキするといいってコト?」

「まあ、そういうことになるね。科学的論証はまだ確実にはされていないけど、試してみる価値はあると思うよ。
 わたしもその結果は気になるし、是非試してみてもらいたい」

「へ〜、面白そう!」

「…ふむ、確かにやってみる価値はあるのう」

「じゃ、結果が出たらよろしく」

そういうと、雲中子はそそくさとその場を立ち去った。




「…どうやってドキドキしよっか?」

「してみると言っても、やろうと思ってできるものでは…」

「ビックリ箱とか?」

「中身がわかっていては驚けぬぞ」

「申公豹と真っ向勝負!」

「…殺す気か、おぬし」

「うーん、難しいなぁ」

玉虚宮に戻り、太公望のあまり人目に触れぬところがいいという希望から、ひとまずはの部屋へ行くことにした二人。

しばらく二人でだんまりしながら考え込んでいたが、ある時はすっくと立ち上がると、戸口へ向かった。

「ちょっと太乙に用事があったんだった!ごめん、ちょっと出かけてくるね。誰か来たら出といて!」

「わかった。留守はわしに任せよ」

そういって出かけてから、30分経った。1時間。1時間30分。刻々と時間が経っていく。

少し時間がかかっているようだ、と太公望が思い始めたとき、コンコン、と戸口で音がした。

誰だろうか?そう思って出る。

次の瞬間、太公望の目の前にはの顔があった。

不意に唇が重なる。

「なっっ、!!?」

「ふふっ、びっくりした?」

はペロッといたずらっぽく舌を出して見せる。

の狙い通り、太公望の心臓は飛び出んばかりに激しく打ち始めた。

「これほど驚いたのは、いつ以来かのう!」

「それじゃ、成功ねv」

「…む?ほう、なんとなく異物感が薄れていく」

太公望の言葉通り、しゅるしゅるしゅると見る間にウサ耳は小さくなり、終いには消えて元通りになった。

「おおーっ、元に戻った!」

「あーあ、もったいなかったなぁ」

「何を言う。人ごとであればそうも言えるだろうが、わしとしてはとてつもない絶望を…
 …まあ、さっきのことを入れれば、結果オーライと言えよう」

先ほどのサプライズを思い出し、思わず口元がゆるむ。

「おやおや、鼻の下を伸ばして。怪しいねぇ」

「なっ、おぬし!何故ここに!!」

「実験結果を見に来たんだよ。いいじゃないか、元に戻って君にもわたしにも良い結果が得られたんだから。
 それに、さっきのサプライズはわたしのお陰だということを忘れないでもらいたいね」

「むぅ…そのことには、礼を言おう」

「それで、次の薬の話なんだけど…」

「ならぬっ!もうおぬしの実験にはつきあわぬぞっ!!」

「いいの?またいい目に会えるかもしれないよ」

「うぅむ…それは…」

「望〜?何の話〜??」






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雲中子の実験に巻き込まれる望ちゃんが書きたかった。
ってか、ウサ耳な望ちゃん考えたら鼻血モノだったんですが!!
あの望ちゃんは犯罪…いつか描こう…(←オイ。)